会津旅行記。
七日町で名物を食べまして・・・
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やってきたのは、近藤局長に続き、新選組3番隊隊長の斎藤一さんのお墓参り。
お墓のある「阿弥陀寺」のご紹介です。
阿弥陀寺について
七日町にあるお寺。
1603年に当時の領主である蒲生氏から賜った領地を開山したのが始まりとされているお寺です。
このお寺、会津散策の中でも見所が満載のお寺なんです。
会津東軍墓地
まずは、会津東軍墓地。
石門に刻まれているように、戊辰戦争で亡くなった会津軍の方達の墓地もあるお寺です。
こちらがその墓地。
木々に覆われ、大変静かな場所です。
こちらはその石碑。
鶴ヶ城御三階
鶴ヶ城は新政府軍によって解体されてしまったのですが、その一部がこのお寺にあるのです。
鶴ヶ城の小天守に当たる「御三階」という部分です。
梁の部分には、徳川の紋でおなじみ、葵の御紋があります。
この建物、外見は三階建ですが、実際は四階の造りになっており、密会に使われていたとか。
この建物は、昭和30年まで本堂として使われていたそうです。
お寺に保管されていたという、色々なものも展示されていました。
斎藤一の墓
今回訪れた理由がこちら。
新選組三番隊組長の斎藤一さんのお墓参りをすること。
元々会津藩の庇護を受けて成り立った新選組。
そして、戊辰戦争で新政府軍が会津に攻めてきた折、負傷していた副長の土方さんに変わって指揮を取っていたのが斎藤さんだったわけです。
敗戦の色が濃くなり、新選組は北上することとなりますが、斎藤さんは「会津に受けた恩を返す」として新選組を離れ会津にとどまります。
結局会津藩は新政府軍に敗れた後も、旧会津藩に仕えています。
その頃に、藤田五郎と改名、その後は東京で警察官となります。
そして、大正の世まで生きるのですが、「会津東軍墓地のあるこのお寺に埋葬してほしい。」という遺言のもと、ここにお墓があるのです。
お墓の裏にあるのは、紅葉の木。
以前ここにきた時は、丁度紅葉の時期で、真っ赤に色づいた葉がひらひらと舞っていて、それはまたすごく素敵な景色でした。
新選組とではなく、最後まで共に戦った仲間の側にという、斎藤さんの律儀で真っ直ぐだったであろう性格が垣間見られる場所なのでした。
本日のまとめ
会津藩との関係の深いお寺は、戊辰戦争時の会津藩の面影を感じられる場所でした。
2年前くらいまでは、まだ案内板などもなかったのですが、観光名所としてきちんと整備をされたようです。
ちなみに、ボランティアのガイドさんもいらっしゃって色々なお話を聞けますので、ぜひ案内を受けてみてくださいね。
スポット詳細
阿弥陀寺
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長羅ある
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